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第7官界彷徨

第7官界彷徨

八ッ場ダム

八ッ場ダムに沈む温泉、川原湯温泉。四季それぞれに美しい吾妻渓谷、道祖神、石仏群、カモシカの親子、地元の人々との交流など、書いておきたい。


on 05.2.18 10:02 AM, at
wrote:
寒い日は温泉!私がもう一度行きたくてもう行けない温泉宿は、群馬県の吾妻渓谷のそ
ばにある川原湯温泉の「養寿館」。昔、若山牧水が定宿にしていて、戦前には中国へ
亡命する前の徳田球一をかくまっていたこともあるとか。私たちが行ったのは5年く
らい前の冬。まず、大きな1枚板の敷かれた玄関の立派さに驚きました。部屋からは
落葉した木の間から吾妻線が見えました。お風呂は迷路のような曲がりくねった階段
をどんどん下りていった所にありました。立派な御影石?の大きなお風呂に、かけな
がしのお湯が24時間じゃんじゃん流れていました。今、養寿館は礎石さえ残さず更
地になっています。52年前に計画されて未だに本体工事に着手できない八ッ場ダム
の予定地として、、、。みなさん、寒い日は吾妻線の長野原駅から歩いて5分の川原
湯温泉へ行ってそのひなびた情緒と良質の温泉を楽しんでください。移転した温泉宿
の空き地がもの淋しいけれど、何軒かが頑張って営業してます。好きな人と行けば最
高にゆっくりできる温泉です。(嫌いな人と行くと、もう地獄。)温泉街の奧の源泉
では温泉ゆでたまごができます。すぐ前の「やまた屋」さんで卵が変えます。ムササ
ビが毎晩11時頃各宿屋を回ってショーを見せてくれます。(本当に。宿ではお願い
するとムササビが来ましたとでんわをくれます。)私たちは、ここにダムを作らない
で、地元の人たちが営業を再建できる保証をすべきと考えています。




2007年12月
 昨日の「田舎に泊まろう」で、「江口ともみがダムに沈む温泉でお泊まり」というのをやっていたので、見ました。八ツ場ダムに沈む川原湯温泉、長野原町でした。
 泊まった家は川原湯温泉から川の向こうの川原畑地区。
 そこの家の夫婦は、100年前に建てられたその家を、「沈ませたくないが、仕方ない」と話し、「お父さんの一番好きな景色はどこですか?」の問いにもはっきりとは答えなかったけど「あの柿は甘い」とか言ってましたが。どの風景も全部ってことでしょうね。「誰にとっても住んでいるところが一番」とも。江口ともみが、深い質問もしないで、軽く流していたのは不満でしたが、深い質問をされても困ったでしょうね。

 翌日、移転先の土地を案内していました。私の好きな「三ツ堂の石仏群」のところにも行きました。ずり上がり方式というので、今の集落の上に住宅地が作られるのですが、その場所は、以前私たちが行った時に、カモシカの親子に出会った場所でした。
 道のそばの土手のちょっと上に、立派なカモシカのとうちゃん、少し離れてかあちゃん、そのおなかの下に、黒っぽいあかちゃんが、守られていて、私たち侵入者から家族を守るようにとうちゃんがこちらを警戒しながら、ゆっくりゆっくり移動していきました。感動的なカモシカの家族の姿に、私たちは言葉も無かったです!!

 ずりあがり方式では、今まで森の動物たちの棲みかだったところに、人間が侵入していくことになるのです。ムダなダムに、8000億円もの巨費をかけて、生態系をこわし、完成後は、高い水を首都圏の自治体が買わされることになります。知恵を出し合って中止することはできないのでしょうか?

 昨日の、信濃毎日の記事にもありましたが、ダムやスキー場でぼろぼろになった集落が、今や周辺のお荷物になっているという現実。

 私たちは、千葉のダム問題に関わった時、「開発で(地元民は)飯は食えないが、自然と環境で飯は食える」を提唱しました。(まあ、リーダーであるうさぎのとうちゃんの知恵です)

 そこで、それを実践したところとして、越後湯沢のスキー場開発から巻機山を守った、民宿「雲天」を訪ねました。

「雲天」は、多くの人の応援で六日町の古民家を移築した、それはそれは立派な建物でした。ここの主人は「ひとりぼっちの反乱」という本を書いたのですが、(読んでないけど)清水部落でただ一人、スキー場に反対を貫いて、山を守った人です。
 おかみさんの山のような山菜料理(普通じゃない量!)とおいしい酒、ご夫婦の一徹な人柄で、全国からお客さんが絶えません。
 私たちは、それから、「自然を守ることで飯が食える」を自信を持って言えるようになりました。

 巻機山は、素晴らしかったです。岩場を登って行った先にひろがる夢のような草原!!それは、山頂近くの露出した泥炭の層が、美しい草原を形作っているのです。

 帰り道で出会ったお孫さん連れの方に「その靴で登ったのか」と咎められました。「それでは山が痛む」と。
 私は山頂まで登らなかったのですが、(山頂への登り手前の泉のそばに咲く白い花たちの幽玄な美しさに心を奪われ、ずっとそこにいたかった!ので)その方の一行は、わらじ履きでした。

 今度巻機山に登る時は、誰もがわらじを用意すべきだと思いました。一時期、巻機山の植物たちは枯れてしまい、崩れやすい地質のためにすっかり荒れてしまった山を、多くの人たちの努力(種を育てて移植したりして)で、よみがえらせたのだそうです。

 いろいろな都会の資本がやってきて、もうからないと放り出して引き上げる。それに対抗するには、故郷を大切に思う人々の連帯と、都会の価値観に左右されない自分たちの価値観を大事にすること、そんな気がします。

2007年
以前作った歌を2首
*いち早く片付けられし仁王像水没地点の標識残し
*日本のポンペイも水没地点なり浅間噴火で埋もれし村
 この仁王像は、川原湯温泉から横壁に向かう道、諏訪神社の近くに立っていました。愛嬌のある顔やスタイルで、そばの小さなほこらにあるもっと古い仏様とともに、その部落を守っていました。「また来ましたよ。」「ご一緒にこの町を守っていきましょう」川原湯に行くとかならず会いに行きました。

 草津温泉からの強酸性の水、名湯川原湯温泉を町ごと水没させる膨大な費用、激しい反対運動。治水、利水のためと言いながらも、55年間も本体工事が行われないという八ツ場ダム。
 鈴木郁子さんは著書「八ツ場ダム」の中で、不要不急の八ツ場ダムについて
「大義名分的に繰り出される治水、利水というよりも、八ツ場ダム半世紀の歴史は、大物政治家の間で行きつ戻りつ揺れた、まさに政争と物欲の歴史と言える」と書いています。

 地元紙「上州路」に連載されたものと、あとで書き足したものをまとめたこの本は、八ツ場ダムに翻弄された地元の人々に寄り添って、彼女が書いた渾身のルポです。
 ぜひ、地元の図書館にリクエストして、読んでみてください。
 「八ツ場ダム」明石書店
 著者、鈴木郁子 2300円
 
 中から、少し書き出してみます。
「人々はその村々の独自の地形に温められるように抱かれて、平穏に暮らしてきた。そうした最中の1952年、一方的にもたらされたダム建設の通告なのであった。
 この間、明日の生活設計も立たぬままに、水没民たちの多くは、自分の判断で何一つ踏み出せずに、半世紀にわたりダムに翻弄されてきた。」

「現地を歩くと「お上に逆らっても勝てっこねえ、あの下筌(うけ)ダムだって、結局は負けたんだから」との声を疲労困憊の果てのいい訳的につぶやく。
 国家権力に徹底抗戦した下筌ダム(熊本県)その蜂の巣城の指導者は室原知幸だった。
「わしが戦いに負けるたびに、権力の実態が明らかにされ、歴史に刻まれていく」
 大闘争過程を描いた松下竜一著「砦に拠る」文中の室原語録である。」

「長野原町の皆さんのあふれるほどのご好意に甘えて、つい足しげく通い続ける昨今、最も切ないのは、ダムの本質をいち早く見破り、かつての反対闘争に連なった人たちの無念の思いの深さである。知れば知るほど意味なく不合理な詐術に満ちているのだから無理はない。
 無駄なダムのために先祖伝来の家屋敷を水底に沈めねばならぬ切ない悲しみは、想像を超えるものだろう。」

「パラドックス的に問おう。
1、木を伐ったのはどなたですか?  建設業者=国交省です
2、エコスタック(廃材を使ったビオトープ)を実施するのは?  施工業者=国交省です。
3、立馬の滝に防災ダムを造り蛍を激減させたのは?  建設業者=国交省です。
4、新たに蛍の里工事をしているのも  建設業者=国交省です。
 それじゃ、いずれにしても建設関係者と国交省さんではないですか?仕事作りのキャッチボールではありませんか。国は今、財政破綻を起こし、そのツケを国民に担わそうとしています。その大元凶には、公共事業を担う国交省さんが、いつも登場。」

 おわりに
「八ツ場の里は、訪れるたびに褐色の度を増していく。
 先日まであった家々が新たに取り壊され、1軒1軒と転居。生活の匂いの消えた空間が日々広がっている。」

「八ツ場の不思議な命脈を信じて、この拙稿が運動のはずみ車として、少しでも動き出し、ダム阻止の何らかの糸口になれることをひたすら願う。」

☆時間に追われながら、鈴木郁子さんはあの街道を今も通い続けていることでしょう。
「現地とつながらない運動はありえない」の強い思いのもとに。
 八ツ場ダムに沈む現地の人々は、半世紀にも及ぶダム問題に疲れ果て、条件付き賛成の答えを出しました。移転が急ピッチで進んでいます。
 代替えの地は危険な斜面、新しい駅はかつて地質が悪く危険なために建設できなかった場所です。すでに移転した小学校は崖の真下にあります。
 住民たちに、50年間の補償をして、ダムを白紙撤回にする。それが一番安い選択だと思います。かつて日本の名湯10選の中に入ったという名湯を、日本の財産として残すべきだと思うのです。
 それによって沢山の鳥やけものや虫たちのいのち、道祖神や石仏群、日本のポンペイの遺跡、文化遺産も救われるのです。

=野アザミは卒塔婆墓群埋めて咲く=
八ッ場ダム予定地の渓谷で森の精霊と、ここを守りましょうと対話中かな?何しろすべてが大きくて深い森と渓谷です。夏の時期には、森の植物や生き物たちの生命のいきおいが強くて、とても対話なんてできませんが、木々が葉を落とした時期には、気のせいですけど「対話しちゃうぞ~」という気分になれるのです。

 代替え予定地を見学に行ったときのこと、墓地に木の墓標しか立っていないのに気がついて、「ああ、ここの人たちは、50年以上も中ぶらりんの状態に置かれ、石のお墓を建てることもできなかったのだ」と胸が痛くなったのですが、あとで聞いてみると、何年かたって、別の本当のお墓に埋め直すしきたりなんだそうです。
 それにしても、打ち捨てられた町の状況の象徴のような寂しい風景でした。

 前に何かの集会で訴えた原稿には、このダムの多くの不合理を皆さんに知ってもらおうというまとめがありました。
 八ツ場ダムの不合理
第1にその目的とする水道用水と工業用水の供給。ダムの受水を予定している東京都、千葉県、埼玉県、群馬県、茨城県では、水道用水の需要は横ばい。工業用水は減少。
 治水の面でも、土木技術の発達で八ツ場ダムの治水上の必要はなくなり、特に現在は上流域の森林や自然を守って保水力を高める方向。

 第2に、「耶馬渓しのぐ吾妻渓谷」と謳われた、渓谷の美しさや、天然記念物の岩脈が水没。レッドデータブックに記載された多くの動植物が絶滅の危険。イヌワシやオオタカにも影響が。

 第3に、草津温泉からの強酸性の水の影響。これを中和するために現在も1日60トンの石灰を投入している。沈殿のためのダムもいっぱい。首都圏の住民は高くて危険な水を買わされる。

 第4に、川原湯温泉と数多くの石仏、道祖神のたたずむ町ごと水没する損失。樹齢600年を超える巨樹も。

 第5に、予定されている代替地は、ダム湖の上に町ごとずり上がるのだが、地形がもろく危険なので工事が進まない。私たちが訪れた時にもカモシカの親子に遭遇。野生の生き物たちの領分に人間たちが入ることになる。

 第6に、莫大な建設費。
 千葉県では、関連事業に毎年拠出。事業費への負担割り合は、19、79%その内容についてはチェックしていない。

 現地に行ってみると、水没予定地に立派な道路が(建設中!)各都県からの血税をあつめた八ツ場ダムは、チェック機能のない聖域です。
 時代錯誤の、そして完成した時からは、高くて危険な水を買わされる八ツ場ダム計画に、千葉県民として反対の声を大きくしていきたい。
 千葉で「八ツ場の水はいらないよ!」といえば、八ツ場ダム計画を中止させることができるのです。

 ☆という原稿が出て来ました。そういえば、カモシカの親子にも、仁王さまにも、諏訪神社の大ケヤキにも、守ってあげるね、と言ったんだっけ。がんばらなくっちゃ。
 みなさんもぜひ川原湯温泉に行ってみてください。空き地が目立ちますし、設備はレトロですけど、お湯は正真正銘の源泉かけ流し。駅のそばでとてもいい所ですよ。

=ふるさとが沈んでできる八ツ場ダム=
「いやだけど引っ越さなくてはいけないな」
「ほんとうにダムは必要なんだろうか」
「残念だ第1小も沈んじゃう」
「温泉は残しておきたいいつまでも」
「ワシやタカ ダムができれば食料減少」
 在校生の8割の家庭が水没する、長野原第1小学校のこどもたちが作った 「八ッ場ダムカルタ」です。
  おとな達が手を変え品を変え潤沢なダム予算を使っての、ダムの必要性の学習を受けても、子どもの心の寂しさは抑えられません。

 子どもたちのためにはこんな取り組みがなされています。
1・上流、下流交流事業。
 千葉県の小学校との交流。夏休みに千葉県から2泊3日で40組の親子が長野原を訪問。長野原からも海水浴に行く。
2・水源わくわくセミナー
 埼玉県との交流
3・クルージング
 埼玉県との交流
4・吾妻の安全をみつめる1258の瞳コンクール(絵のコンテスト)
 その他に第1小のこどもたちを描くドキュメント番組「八ッ場のこどもたち」(TBSビジョンと国土交通省制作)にもダム経費が使われた。

 一種の誘導教育をされても、子ども達の心には「ほんとうにダムは必要なんだろうか」と疑問が湧くのです。
 移転された長野原第1小学校に行きましたが、恐ろしいような崖の下にありました。この自然豊かな町の小学校に、申し訳程度のビオトープまで作られていました。
 オオムラサキやホタルの引っ越しをさせるんだそうです。 

 鈴木郁子さんは書いています。
『周辺の起伏に富んだ先祖伝来の山河を切り刻まれる八ッ場の住民も、いつまでも無知ではない。大手ゼネコンのための「仕事作り」のカラクリはとうに気がついているはずである。
「こんな山の中にあんなもん(=ビオトーピ)いらなかんべに」
 の声が、一般住民の間にもささやかれている。』

 私が行ったときには、1億円はかかるという橋が水没地に建造中でした。(工事用車両のため)水没地に作られた資料館は3億円?駅には沈み行く温泉街の自然や遺跡をまとめた美しいパンフレットが沢山。(これもダム予算ですが、図らずもここがどんなに動植物にとって貴重な場所であるか、貴重な遺跡があるかを証明してしまいました)
 山の中の4車線付け替え道路とか、以前ニュースステーションで取りあげてましたが。何しろムダな付帯工事がわんさかです。

 ちなみに、このダムへの負担割合は
国税・4600億円
東京都・1280億円
埼玉県・1210億円
千葉県・780億円
茨城県・390億円
群馬県・380億円
栃木県・16億円

 総額9000億円です(今のところ)。
 最後の大型ダムといわれていますが、その必要性は全くなくなっているのにやっぱり作るつもり?

 今まで現地と下流は分断されていました。被害者である地元の人々にとって、ダムの水を欲しがる下流の人々は加害者だったのです。
 上流と下流の分断が、思う壷だったと思います。
 地元でそれでもやっぱり水没させたくないと思っている人たちは、下流の人たちの運動が広がることを待っています。

 川原湯温泉に行くとき、私は必ず一駅歩きます。幾つもの石仏群や道祖神、巨樹、道ばたの草にも挨拶をし、通りすがりの人に話しかけます。
 まずは周辺の景色をほめること、温泉のお湯が素晴らしかったこと、温泉卵を作ったこと、温泉街の風情が素敵なこと・・・みなさん喜んで足を止めてくださり、話がはずみます。
 そして
「ダムに沈ませるなんてもったいないですよね。」と。

 以前、川原湯に行ってから1週間くらいして、鈴木郁子さんから声を弾ませて電話がありました。
「あなたたちの事が評判になってるよ。なんでも、千葉から来た女の人がダムを止める運動してくれてるって。ダムは止められるかもしれないって」
 そんな出会いもありました。そのあと、何の変化を起こす力もなかったのですが。

 不要不急なのは、55年もの間本体工事も行わないことで明らかです。寄ってたかって食いものにしているとしか思えません。
 その中で翻弄されてきた町の人たち。
 この人たちの55年間の苦労に十分な補償をして、ダムは白紙撤回にするのが、一番安いはずなんだけど。
 

2007年
  週刊金曜日の告発レポート「八ッ場ダムの疑惑」を読んでびっくりしました。10年前からの私のご神木、行けば必ずその幹に寄り添って「守ってあげるね」と声をかけた大欅のある、諏訪神社の所有地が、氏子の知らないうちに国土交通省に売られていたというのです。
 八ッ場に足繁く通っていた頃、道のそこここに道祖神がいて、特に双対道祖神は、2人並んでにこにことラブラブで、本当に心和む場所でした。諏訪神社の境内にもいます。 
 
 今回の場所は大欅のある本殿ではないが、地元の人が竹林を切り開いている業者の姿を見つけて問いただし、その事実がわかったそうです。

 ダム対策委員の代表で、地元「かみつけ信用組合」理事長のH氏ら3人の意向で、国土交通省に売り渡されたということがわかったとのこと。
 50年を越す長年のダムとのたたかいに疲れた住民は、有力者にさからって問題を問いただす動きもなく、この間、地元有力者と国土交通省、業者が、住民の財産を取りあげ、住民の知らない事業が進められています。

 しかし、伐採で無残な諏訪神社の竹林を見て、住民もさすがに黙っていられなくなって、氏子会議が開かれたそうです。

 八ッ場ダムに沈む川原湯温泉は、吾妻線の長野原駅前にあります。便利なことと、温泉は日本の名湯10撰に選ばれたほどの質、量をほこっています。
 55年前、ここに八つ場ダムを作る計画が起きました。
 未だに着工されていない、いわくつきのダムなのです。水の需要は頭打ち、治水の面でもダムの必要性はない、それでもなぜか止められない。

 久しぶりに鈴木郁子さんの本を出してみました。地元の人と深くかかわり、みつめてきた足であるいた現地ルポです。

 本文をご紹介します。
『思えば山には山の営みがあり、里には里の暮らしがあった。
 人々はその村々の独自の地形に温められるように抱かれて、平穏に暮らしてきた。そうした最中の1952年、一方的にもたらされたダム建設の通告なのであった。
 この間、明日の生活設計も立たぬままに、水没民たちの多くは、自分の判断では何ひとつ踏み出せずに、半世紀にわたりダムに翻弄され続けてきた。
 不要不急の八ッ場ダムは、なりふり構わずの利益確保が優先。費用効果は無論、既製ダムの悪例が網羅された欠陥だらけの悪質公共事業の代表格である。』

『現地からかすかに呼応してくれていた”隠れキリシタン”的存在の少数派水没民たちも口を閉ざし沈黙。時に「もう、遅すぎるかな」と私も思う時がある。
 打ちのめされるような声で「ここまでくれば、はあ、ダメだいな」と力落とす声音に、こちらの心まで暗くなる。
 長野原町のみなさんのあふれるほどのご好意に甘えて、つい足しげく通い続ける昨今、最も切ないのは、ダムの本質をいち早く見破り、かつての反対闘争に連なった人たちの無念の思いの深さである。
 さらに辛いのは、今なおかろうじて持ちこたえ続けている、背筋シャッキリのその矜持にふれる時である。』

『田植え前の田んぼはうら寂しい。すでに国土交通省との契約成立で、農耕放棄の休耕田の地がやせていくのがわかる。その中で、手入れを怠らないSさんの田まで足をのばすとほっとする。この人は、ダムができるその日まで、耕すだろう。根っからの農民魂を持っている人だ。ダムはできないことを昔も今も願ってやまない数の少なくなった、その一人である。』

 この本には、町のあちこちにある石仏群や歴史、生き物、自然の移り変わり、利権に群がる業者の姿などがぎっしり書かれています。
業者の1例
『エコスタックなる一大キャンペーン
1・山の木を根こそぎ伐る。当然、生態系が崩れ、動物は住み着かなくなる。
2・次に、生息地を追われた小動物の住みかをつくりましょうと大合唱
3・エコスタックのキャンペーン展開。
(生き物のすみかつくり始め、環境のためと称して関連企業の仕事作り展開)』

 鈴木郁子さんは井上光晴の文学学校の最後の弟子?です。良かったら地元の図書館でリクエストして買ってもらってください。
 中味は重要なことがいっぱい詰まっていますが、読みやすい本です。図書館の蔵書になれば多くの人が読んでくれると思います。
 
本の題名「八ッ場(やんば)ダム・足で歩いた現地ルポ」
 著者  「鈴木郁子」
 出版社 「明石書店」   です。
 
 鈴木さんは、まだ4回くらいしかお会いしていないし、このところしばらく会ってませんが、感覚やなんかがすごく合う、わかりあえる人です。意固地なとこも似てるかな? 

 今回、野田知佑、加藤登紀子、澤地久枝、大熊孝、池田理代子、永六輔さんが代表世話人になって、「八ッ場あしたの会」が発足したそうです。
 下流の街の人々のたくさんの応援が膠着状態に風を吹かせてくれることを祈ります。

2008年7月
 神戸親水公園水難事故を受けて
 先日、神戸で川が増水し、親水公園とされていた場所に遊びにきていた学童保育の子どもたちなど5人が亡くなりました。すぐに水が引いて、コンクリートに石が埋め込まれた川や護岸を見て、どこかで見た景色だったと思いました。
 この、写真の梅干しの並び、にも似ていますが、それは飛躍し過ぎで、そっくりだったのは、八ツ場ダムに沈む川原湯温泉の子どもたちが通う「長野原第1小学校」の裏。

 ダム建設に伴い、小学校は早々と移転したのですが(それでも55年くらいかかっているらしい)その裏の川沿い、誰もいないところにえんえんとこのコンクリートで固められた石の造形が続いていくのです。
 そのあたりを、鈴木郁子さんの「八ツ場ダム、足で歩いた現地ルポ」(明石書店)から引用してみます。

「折の沢ビオトープ計画。総工費6億5000万円。前段階の生態系調査を、日本生態系協会が
2001年に2300万円で行っている。(概して、その年度の単独調査では終わらせず、次年度の次の受注に結びつけるしかけ)
 学校ビオトープ東側を歩き出すと、目の前に広がる光景は、やんば館などで宣伝する写真にそっくりの折の沢の工事風景であった。
 しかし、手前の整備だけでなく、づっと奥の木立のさらに奥、源流近くの川筋全体まで人為的な工事の手が加えられてしまっている。
 一組の夫婦のごとく左右隣あい、ずっとこの地を潤してきた大事な沢筋「立馬の滝」と「折の沢」。源流の蛍の壊滅作戦を行った国土交通省。その同一人物が事業体なのである。」

(2ページ中略)
「水を引く黒いパイプがのたくり、砂利が敷き詰められた川床には、小石を並べた池風の囲いや庭園風の小ぎれいな処置が施されている。
(☆神戸の現場そっくりです!こちらは人も来ない源流域)
 この川床のみの施行の正式名称は「折の沢流路工工事」地元の中島建設が2003年7月、2169万円で落札した。
 注意しつつ歩く道々、水の流れは人間の考え通りこんなふうには流れてくれないものだと思い至る。(というのは、川のクリーン作戦に参加していて)子どもたちが川辺に降りられるように階段を設置してくれるというキャンペーンに応募した。
 折しも自然工法が提唱されだした頃で、建設業者は階段をつけ、砂利場も整備し、石を並べて見栄えする川辺の広場も新設してくれた。
 うれしくなって村中でお披露目イベントを計画していた矢先、大水が出て石もろとも流され
壊滅。平地のどこにでもある変哲のない川であったにもかかわらずである。
 ましてや、(ここは)時に激流となると伝え聞く沢である。」

 神戸の水難事故では、国土交通省はこのような親水公園がどのくらいあるのか把握していないとコメントしていました。自然にさからって、目先のこ綺麗さで日本中の自治体に売り込まれたんでしょうね。
 週刊金曜日の話の特集「無名人語録」には
「里山の小川をU字溝にしたと思ったら、不自然だからと今度はU字溝をはずす工事をしてんのよ。要するに、工事が続くことが大切なのよね」
 って書いてありました。計画から60年ちかくなってもまだ出来ていない八ツ場ダム。長い長い継続に翻弄されてきた川原湯温泉です。

2009年9月
 さて、八ツ場ダムについて、前原国土交通相が、「関係者の理解を得られるまで、八ツ場ダム計画の廃止手続きに入らない」方針を示しました。
 なかなか大変だと思います。

 Nさんのメルマガで、9月21日のしんぶん赤旗の記事が載っていましたので、転載させていただきます。
 地元の人びとの声が聞こえます。

以下転載
(前略)
●着工わずか

同地区の50歳代前半の女性は、廃止であれ建設であれ、どんな結論であっても、ここに住んでいた人たちが戻ってきて、自然が元通りになるのなら協力します」と途方にくれた様子。

旅館関係者の男性(57)は「子どものころ、遊び回った山が工事で引っかかれて、つまらない山になってしまった。みんなで代替地に移るから、ここは仮の場所と思って、古くなった建物の建て替えもせずに修理を重ねてやってきたのに代替地がいっこうにできない。
もとはといえば、自民党にズルズル引っ張られてきた話」と、苦々しげ。

国土交通省によると、工事費の4600億円のうち3210億円(約70%、今年3月末時点)が使われています。国道と県道の付け替え工事は、全体の70%分まで進んだとしますが、その多くは契約締結を済ませただけであったり未完成部分。実際に完成したのは、国道で6%、県道で2%にすぎません。

代替地には129世帯が移動を希望していますが、移転済み家屋はわずか16世帯。川原湯温泉街の移転先と計る代替地はまだ完成していません。

川原湯地区でコメと野菜をつくる女性(68)は「今は農業収入が少しはあるけど、代替地に移ったら国民年金だけで幕らさなきやいけなくってね。補償金もほとんど残らないし、代替地でやっていけるかな」と不安を語ります。

国交省はダム完成後、ダム湖を資源とした観光での地域再建を押し出しています。しかし、その試算には誇張が多く、ダム付近の吾妻渓谷に現在の50倍に匹敵する年間739万人の観光客が訪れるとしています。こうした過大な見積もりに、批判が集まりました。

●再生急いで

前原国交相は18日に「自治体あるいは住民に対する何らかの補償措置を、法的な枠組みの中で行っていかなければならない」と表明しました。日本共産党国会議員団は、これに先立つ08年10月に大型公共事業中止後の画による地域再建策を国交省に申し入れています。

同地区で牛乳販売業を営む豊田武夫さん(58)は建設中止を歓迎して、大切なのは中止後の地域再建策だと語ります。

「工期と工事費がさんざんかかった末に今回の政治決着となった。もともとの計画に問題があったのだと思う。これを機にダムから手を引き、温泉と水と地の利を生かした地域再生に早く取り組むべきです」

  
☆マスコミから聞こえてくるのは、ダム中止だと今までかけてきたものが無駄になる、建設後に期待をかけてきた地元の人はみな困っている,怒っている、という話ばかり。
 「いやだけど自分だけ残るわけにはいかないから、引っ越さなければ」「故郷の自然を守りたい」「自分の代で土地をダム湖に沈めるのはご先祖さまに申し訳がたたない」などという、声なき声はどこにも出て来ません。

 ほとんどチェックなしに、温泉の湯水のように使い果たした3200億円は、ダム以外の場所に垂れ流されてきていて、ダム計画を続行すればこれからもっと莫大な費用がかかりそうです。
 豊田さんの言葉のように、温泉と地の利を生かした地域の再生に、早くとりかかれることを望みます。このダム計画がどんなひどいものだったのか、作った後でも懸念は消えないダムであることを知っていただいて、ダム中止に向けて、全国の多くの皆さんの理解を期待します。
 
2009年9月
 八ツ場のそばの吾妻渓谷です。私が自然保護に関わった初めは、千葉県の中央を貫いて流れる小櫃川の源流域に追原ダム計画が持ち上がった時でした。
 その追原というのはすでに地図にだけ存在する廃村で、そのそばを流れる七里川渓谷をせき止めてダムを造るというのです。追原に故郷の面影を感じていた私たちは、人の知らない追原を守るために行動を始めました。
 いろいろあったのですがそこは割愛。(フリーページの追原騒動記をご覧下さい)

 地元の人たちとそこがいかに良い所か話し合い、ダムと道路は別にして考えようと話し、ダムを進めることに熱心な期成同盟の皆さんのうち、本当にダムを作りたいと思っているのはそのあたりの山持ちの人何人かだけということが分かったりしました。
 自然観察会を何度も開き、紅葉のきれいな渓谷の写真展を開き、貴重な生き物の存在、上総の飛鳥と呼ばれた太古から、江戸時代に薪炭産業でにぎわった歴史。隆起した地層が露出し温泉が湧き出る場所、その他水の底に沈めてはいけない貴重な場所であると県内外の人びとに知らせる運動をしました。

 そうこうしているうちに、脱ダムの風が吹き、計画してから五年たっても着工しない場合は必要性が疑われるという「時のアセス」に該当するということで、追原ダム計画は白紙撤回となりました。

 その頃訪れた八ツ場ダム予定地。
 群馬の人びとに親しまれている吾妻渓谷に作られる、人に知られない名前の「八ツ場ダム」は、千葉の人びとの憩いの七里川に計画された追原ダムに似ていると思ったのです。
(わざと知られていない名前をつけたのか?)

 訪れた吾妻渓谷は、千葉の渓谷と比べようもないほど雄大でした。
 そして、計画から50年近く(10年前だったので)たっても未だに本体工事もされていないダムの必要性に疑問を抱きました。激しい反対運動が繰り返され、そこを守る為に生涯を捧げた人たちの歴史も知りました。
 貴重な生き物、何気なくそこに立っている巨樹。辻辻に立っている道祖神。こんこんと湧き出る良質の湯。
 水の底に沈めるには惜しいものばかりです。

 そして、浅間山の火山灰が積もってできたもろい地層は、ダムが出来ても崩落の危険が予想されるし、草津温泉からの強酸性のお湯は、中和工場からの沈殿池である品木ダムを満杯にし、八ツ場ダムも第2の品木ダムになりかねないという予想。

 加えて,首都圏の水需要は頭打ち、で利水の用はなくなり、山の状態や土木工事の発展で治水もダムがなくても大丈夫,というわけで当初の目的の治水、利水も不用なダムという研究結果が出ています。
 
 今回、八ツ場ダム工事は中止という方向が出されました。
 地元の皆さんに,もう一度、ご先祖さまから受け継いだふるさとの素晴らしさを確認してほしいと強く思います。この歴史ある豊かな温泉を、守ることができるチャンスが訪れたのです。
 「ダムに沈まなかった温泉」を「60年かけて守り通した」誇りをもって日本中から観光客を迎える、そんな近未来図を描いてみませんか?

2009年9月
 前原国交相が八ツ場ダム予定地の長野原町を訪れました。そのニュースはいろいろなメディアで流れていますが、どうも、地元住民をいじめる前原というイメージが作られているのが気になります。
 今日の東京新聞「筆洗:さんでも、
「下流の住民のために苦渋の決断をしてダムを受け入れた、この苦渋の決断は意味を失うのか」「「中止ありき」の姿勢に反発した住民は意見交換会への出席を拒んだ」
 と書かれています。

 しかし、社会面にはこういう地元の様子も。
「懇談会場の外では、ボイコットの周知が徹底せず,住民の姿も。「住民なのになぜ入れないのか」と警備と押し問答になる一幕もあった。
 警備の警察官に会場から出された酪農業のMさん(82)は「なぜ住民がこの大事な会に入れないのか」と憤っていた。」
 という囲み記事がありました。
 ちょっと深読みしてみたのですが、このMさんは「ダム反対の運動」をずっとしてきた人です。Mさんの発言が前原氏に聴かれ、ニュースで全国に流れては困る人たち(推進派&国交省)が、Mさんを中に入れなかったのではないでしょうか。

 それで、全国に流れるニュースは「地元住民がボイコット」となるのです。私はMさんに会った事があります。この60年近くふるさとをダムから守るために頑張って来た人です。
 仕組まれた住民ボイコットを全国のみなさんは鵜呑みにしないでいただきたいと、切に願います。

☆☆☆ 
10年前の追原宣言をコピーします。ダム計画を中止に追い込んだめでたい「3つのことだま」です。この言霊に願いをかけて、いろいろな人たちに思いを訴えました。

「私の手元に1冊のパンフレットがある。水色のきれいな表紙に1羽のかわせみ。追原ダムのパンフレットだ。私たちは愛する追原を水没から守るため、さまざまな運動を展開し、たくさんの人と知り合い、環境を守れという世論の追い風を受けて、追原ダム計画を中止させることができた。

=初期の作品集から=

短歌    追原うさぎ A

身の丈にくり貫かれたるトンネルをいくつもくぐりそまの路ゆく

追原とう村通り過ぐ棲む人の絶えて久しい山深き村

三十年かけて原野に還りたる廃村にもみじ苺色づく

梅、茶、柿、雑木林に紛れいて隠し絵のごと暮らし顕ちくる

日溜まりにりんどうの葉も紅葉して追原へまた吊り橋渡る

冬の日の届かぬ森の奥深く身を寄せ合いて鹿眠るらし

靴底にゆっくり返る腐葉土の弾み楽しみ冬林ゆく

今ごろは谷に鹿らの水飲むらん放射冷却著き夜の更け

ふさ桜七里川に沿うて芽吹きおりやがて紅色点す山峡

うすくれない、萌黄、さみどり、深緑、塗り重ねゆく春の追原


詩        
「みつめてください」  ローザ


七里川のつり橋を渡れば
追原という廃村がある
雑木林に埋もれた茶畑や
たんねんに開墾した小さな田んぼ
肩を寄せあった小さなお墓
山ふところに抱かれたこの廃村の
人々の暮らしのあとがいとしくて
わたしは幾度かつり橋を渡った

あの追原にダムができるという

鶴嘴の届く高さしかない随道や
遺跡のように佇んでいる炭焼き窯のあとや
なだりをうめて咲くシャガや冬苺の群落や
わたしたち侵入者を
いつも息をつめて見つめていた
森の奥に棲むちいさなけものたちも
蛇も山ヒルも
みんな水の底に沈めてしまうのだという

大企業のもうけ優先の乱開発で
わたしたちのふるさと房総の自然が
もう十分に傷つけられてしまった今
水を蓄える山の木をえぐり取って
ダムを作るという短絡を
このまま許してしまっていいのだろうか

むかしの人は太陽の恵みを
大事に大事に一年で使った
たとえば灯り
いちめんの菜の花畑からとれた油を次の一年で消費をした
たとえば紙
前の年に伸びたミツマタの枝を
刈り取って美しく丈夫な和紙を作った
決して減らない自然の恵み
山も田んぼも自分たちの代で減らすことは恥だった

今 人間たちは
どこかへ向かってひた走る
何十億年単位で蓄えてきた地球のエネルギーを無造作に消費しながら
目先の利益や心地よさに心を奪われて
次の世代に手渡すものまで使いきって
ことばをもたない小さないのちたちまでを巻き添えにしながら
破滅に向かってひた走る

だから
みつめてください追原のこと
むかしの人のくらしの仕方
考えてくださいダムのこと
誠実に今を生きてふるさとの自然を守る方法を



追原宣言ー1998年3月29日
小櫃川上流の七里川渓谷を塞き止めて「追原ダム」を造る計画が、千葉県によって進められています。この事業は小櫃川水系小櫃川総合開発事業の一つで、洪水調整、川の流れを正常に保つ、上水道用の水源確保、等々の多目的ダムということです。ダムの規模は、黄和田畑橋の手前小櫃川本流の川床、海抜115メートルの位置に、高さ46メートル、堤頂の長さ139メートルのコンクリートダムで、事業費260億円の巨費を要すると聞きます。このダムは744万トン水を貯め、湛水面積は6900アールにもなり、水没する県道、市原ー天津小湊線のつけかえ工事も大規模なものです。この工事による影響は重大なものです。川床と両岸の崖が美しく、夏の川あそびや秋の紅葉で県民に親しまれてきた七里川渓谷は水没します。フサザクラの群生や貴重なクマシデの植生、ミドリシジミチョウやオオムラサキの生態にも重大な影響が出ます。文化遺産でもあるキンダン川の川廻し跡の大洞も水の底になり、隠れ里の追原屋敷跡も破壊されます。一方、下流の亀山ダムや建設中の片倉ダムとの関連で、小櫃川の水流そのものに重大な変化が起き、流域の人里や河口の干潟にも影響が出ることが予想されます。
 私たちは身近にあって、先人たちの生活の匂いが残り、かつ自然豊かな千葉の山や谷に幾度も訪れ明日への活力を享受しています。それだけにこれらの自然環境を次代に残さねばと考えています。
今計画中の事業に関連し、地元住民の永年の夢である県道、市原ー天津小湊線の2車線化改良工事の要望の強さも、私たちは充分承知しています。県の道路改良工事の遅れを、ダム建設にからめるのはスジちがいで、追原ダム建設と切り離して事業を進めることを求めます。
 この際、県民に良好な県土を提供するという、県の原則的責務を重視し、追原ダム建設計画全体の見直しを求める事、そして1894年より「森林学」分野の学究の場を提供し、それゆえ「開発」を阻止してきた東京大学演習林を、この代に一部といえども濫用する事の無いよう、広く内外に宣言します。
  1998年3月29日
   追原ダム建設現地調査団にて採択
            (文 鵜沢喜久雄)





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